Yosuke Sato's blog

仕事で気づいた事、大切な事を書いていきます。会社がドイツの会社なのでドイツの状況などもお伝えしたいです。

役割を考える

自分がどうゆう役割なのか考える必要があると思いました。
これまでは言われた事とその先のちょっと延長した事ぐらいまで行えばOKと思ってました。

まったく異なっていました。
プロジェクトを行っていくことは自分の役割を考えなければいけない。
指示を待っていてはプロジェクトは動きません。
自分は今何をする必要があるのか?
これを明確にする。

不明確な場合
自分の問題ではない問題に振り回され、効率、生産性が落ちてしまう。
結果自分のタスクがクローズしていない。他の人に影響を与えてしまう。

明確な場合
しっかりとした線引きができるのでタスクにたいして自分から調整ができてしまう。
しかし線引きを低いレベルで引いてしまうとメッセンジャーになってしまい、何も考えていないと思われる。

役割が与えられていない場合は自分で作ってしまい、ボスがOKすればそれまでの話。
自分で仕事を切り開いていく立場に成長していくことができると思う。

振り返る

仕事を振り返る。

ずっと指示に従ってきた作業者の様に。
指示をこなすのは簡単だった。そこに自分のアイデアを少しだけ加えるのは得意なのかなと思って仕事をしてきた。
仕事が変化して指示をする立場に変わった途端、事態は急変化した。
自分で考えることができなかった。指示を待ってしまう。仕事に遅れが生じ、誤解が生まれ、負のスパイラルに陥っていった。段取りも想像できない。物事の流れもわからない。
仕事のフェーズが変わることがどういうことかは理解できたが、準備は全く出来ていなかった。
対応できなかった。そのポジションからは外された。元の作業者のレベルに。
その仕事であれば人以上にできる。でもそれ以上ではない。
成果は変わらないものになり、給料の上がりも見込めなくなる。
成長を止める。変わりにリスクは背負わない。ということになる。
でもその現実を受け止めなければいけない自分の能力がそこには存在する。
認めたくはない。こんなもんではないという気持ちもある、一方そうではないのかもしれないと思ってしまう自分もいる。非常に悩ましい。しかし生活をしていかなければならない。どうすればいいのだろうか?他に道はあるのだろうか?わからない。

物事を正確に伝える重要性

ここ3ヶ月、物事を正確に伝える重要性を現場の変化から学んだ。
今までの自分はなんらかしらのオブラートに包み、物事を報告していた。
これはすごく危険な事であり、上が事実とは少し異なることを受け取り、さらに上に報告する際にも
バイアスが掛かり、その結果その現場には事実とは異なる事を強いられることになる可能性がある。
その際に誰がその事実にバイアスの掛かった報告をしたのだとなり、その結果は自分に返ってくるというループが起こる。
部下たるもの上司に性格な情報を伝えることこそがホウレンソウの基本なんだと改めて感じた。
どんな仕事でも同じ事が言える。
日本的な感覚なのかもしれないがやれもしない事に対して『できますよ』ハッタリをかまして、なんとか達成する。
というスタンス。出来る人であれば問題ないが、それはごく一部の能力の高い人がやることであり、基本はどこのどういう部分に対して不明な点があり、自分はここの問題の一部しかできないとしっかり伝える事がどれだけ重要かと思う。
部下が上司に対してそのような報告をした際に上司はその時点では適切な判断がとりわけ早い段階で行えるのに対して、
オブラート、オブラートしたり、はたまたは狼少年的な事になった時点で、そのことをしていた人たちは能力がないとみなされてしまいます。結局どの問題も正確に伝えないが為にその結果の見返りを結局自分の所に返って来てしまうと言う事になる。今溢れているどの問題でもそのことがいえると思う。包み隠さず、事実を認め、反省した際にはその物事に対して、さらに突く人がどこにいるのであろうか?事実以上なことは無く、事実だけならもう攻めようが無いわけで、隠すから攻められる。ただそれだけである。嫌われるからとかではなくてと思う。しかしこの世の中いろんな問題のある中でそれを実行している人、企業はどれだけあるのであろうか?
それぞれの仕事にこのことをfeedbackして欲しいと思います。
脚色していませんか?事実に対して。。。

コーポレート アイデンティティ

どうだろうかこのことを強く意識している企業はどれくらいあるのだろうか?
またこの意味をどれほど意識している人がいるのであろうか、そして属しているのであろう?

自社もこれを意識している企業だと感じる。

本国ドイツにおいては創業者の名前の付く通りのな名前にし
また自社のカラーもある。グレーだ、すべての物にこの精神を貫いている
会社にしろ、カンパニーカーにしろ、社員が持つノートやペン、社内のデザインも
この精神に乗っ取っている。
それ故に高コスト体質だと感じる。
日本の企業でここまで自社カラーを持っている会社も少ないと思う、
なぜなら日本の企業自体このアイデンティティを象徴してこなかったかたこそ、根付いていない。
海外からの企業の進出されて根付かれて始めて気づかされたのかもしれない。
例えばカーメーカーのロゴがその一つだと思う。
現在ではグローバル化が進み各企業が自社のロゴを車両の前後に付けている。VWやBMWなどはすべて統一されたロゴでその会社のカラー、アイデンティティを示していた。
以前はそうではなく、トヨタなど見ればわかるが車両の前のロゴが未だにクラウンやエスティマなど
多数にわたる商品が自社のロゴではなく其の車が持つロゴになっている。
一方グローバルで展開している車に関してはトヨタロゴが付いている。
これはやっとグローバルでのコーポーレートアイデンティティの意味が解って来た事を意味する。
これは制服などにも通じ、ドイツ軍が最初の採用した軍事の制服、それを統一する事の意味、これは権利の象徴である、つまり強さを意味し、戦う相手に
自分たちの強さを示すことができる。

現在自社でこれほどの意味を持ち、その意味を本当に理解して働いている人たちはどれくらいいるのであろうかと改めて思う。
単に他社に出向く際、ある企業の数人のグループで来た時に、全員が同じスタイルで出向かれたとき、果たしてどう感じるのであろうか?
方やカジュアルなスタイルで全員が、それぞれのスタイルだとしたら、相手にどんな印象をあたえるだろうか?
少なくとも自分は全員かその企業のカラーを打ち出した統一されたスタイルを前にすれば、圧倒された気持ちになるのではないか?
仕事の開始にこの気持ちにさせるのは長く続くプロジェクトにどう影響するのか、考えればその意味がわかる。

外資系での2年を経過して感じたことのまとめ

この1月で現在働いている外資系に勤めて2年が経過した。
特に昨年の1年で大きな変化が現れてきた。これは自分が自らの力でこじ開けたものではなく
自然と空から降ってきたようなものだ、まさに運のようなものだと感じる。
タイミングを見ているとまさにこの時期というタイミングだ。

まず個人のスキルとしてやっとTOEIC650点を獲得。
そして念願のドイツ出張(約2週間強)。
そして、そして今までのとは全く異なるビックプロジェクトを任される。

これは自分の中に大きなインパクトがあった。またこの変化に従い、事実上のボスが変わった。

大きく180°転換してしまった。

仕事のレベルは比べると非常に高く、今後の自分の人生においてとても重要な意味のある仕事だと、
日々痛感する。これまでの仕事がほんの一部だと思えるようなものだ。

自分はこれを受けて大いに感じた、自分のレベルでは相当必死に喰らいついていかなと難しいと。
蓋を開ければ、思った以上で自分のcapacityを超えているとoverflowしてしまっている。
そんな状況であるが、仕事というのは学ぶことが本当にたくさんあると改めて痛感する、学ぶことばかりだ。自分が無知であることがよく解ってしまった。自分は実はできていなかったのだと。
本当のレベルの高い、仕事はしていなかったのだと。ワーカーレベルのただの作業者になってしまっていたということ。言われたことをこなしていただけと。

それを知ったとき、本当に恐怖を感じた。自分は今まで何をやってきたのであろうと。
何を身に付けてきたのであろうかと。これからやっていけるのかと。
自分で自分の力の無さを痛感した。一人では難しいことに対応がついていかないと。

まったく昨年の自分とはことなると。
仕事の不満はあったが、現在比べてみれば、不満どころかこんな自分でいいのだろうかと。

今年は1も2上のレベルの仕事を身につけたいと思う。
そうでなければ今後自分はこの業界でこの仕事を続けることは難しいだろう。
年末まで突っ走って、さらに成長したい。
それには自分というものを確立したい。それは自分の考えを自分の言葉で相手、もしくは会社、上司に伝えられるように、意見が言えるように。聞かれたら言えるようにではなく、自分から発信できるように変革していきます。もっと強くなりたいです。

自分を知ること

自分のことをよく知っている人はこの世にどれくらいいるのだろう?

自分の強みや弱み、いいところ、わるいところ

自分でどうすればそれを知れるのだろう?

自分はそれをずっとわかっていなかった。
自分と一緒にずっと過ごしてきたのに

どうして知ろうとしなかったのか?
だれでも自分のいやなことには背を向ける、自分は人の倍そう思っている。

事実を受け入れたくないと思ってしまう。
自分はこうじゃない、そうじゃないと心の中で葛藤しながら思っている。

気づかなかった、事の重要さに

それ以上に家族や仕事を優先してしまい自分のことは後回しにしてしまったのかもしれない。
それでいいと思っていた自分はあとでいいと。
でも気づいた、それではいけないと自分は自分の人生である、子供にしても、妻にしても
それぞれの人生であり、自分のものでもなんでもないもの。

自分を知ることは今後、生きていくうえ、仕事をしていく上、とっても大事なことになる。
自分の弱天の裏には強みがあるからだ、これからはそれを伸ばしていかないと人生もうまく行かないかもしれない。

日本を変えたいと思ったことは一度もない

というより

日本を拠点にグローバルに活動したいと思っている。

自分が行いたい方向は前者でなく、後者と思っている。

なぜだろうか?

この会社の影響だろうか?

活動が範囲が広い人に興味がある。
またサッカー選手のように海外でプレーする方が
国内でプレーするよりも技術やプレーが上達するのが早い、きびしい環境の為、知らない間に成長している。
そう早く駆け抜けたいという気持ちがある。
他の人よりも早く。環境は大事だと思う、この会社でもそう思う。
環境によっては伸びしろが同じ期間内でも大きく異なると思うからである。

時間のある人は国内でゆっくり行っていてもらえればいいと思う。
そしてその人たちが日本を変えれるのであれば変えて欲しい。
しかしサッカーでいうならば、海外でのプレーをしている人たちが代表としてチームを
引っ張っているのをみると自分が選んでいる道の方向性はそれと似たものがあると思っている。
早い時期に自分も海外プレーしているサッカー日本代表になりたいと思う。

そういう意味では中田英寿をすごく尊敬している。
彼が示してくれたことには上記に書いたことがすでに体現されているから。