Yosuke Sato's blog

仕事で気づいた事、大切な事を書いていきます。会社がドイツの会社なのでドイツの状況などもお伝えしたいです。

就活している人達へ 外資系という選択はどうですか?

自分は電子科でした。

単位は合格ラインギリギリでした。
電子の事は途中から難しく感じていながらも何とか卒業したという感じでした。

就活を開始したのは大学三年の中間頃でした。就職することが一体どうゆうことか全然わからずに開始しました。何がしたいのかさっぱりで、セミナーにいく事は行くがぼんやりしたまま、何かがはっきりし無い感じでした。ただみんながやってるから的な部分が多いにありました。でも漠然とお金が欲しいから仕事はしたいという気持ちはありました。でも何がいいのかサッパリ自分の感覚だけでこの会社やっぱいやだな、いいなと振り分けながら沢山企業訪問をしました。そして応募も沢山しました。かなり落とされました。20社は落とされました。しかし5月の時点で1社だけ社長面接までいき、内定するかしないかの所まで行きました。どうするか問いただされて、悩んで出した答えは

NO

でした。直感です。
今で行ってても良かったのかなとおもったりもしなくはないですが、そのご大手の応募も行いました。しかし研究が忙しくなり、なかなか上手くいか無い就職活動になっていきました。とうとう夏を過ぎても決まらない状況になって来ました。流石に大丈夫かなと不安になってましたが、一方でなるようにしかなならないかなと開き直ってる感じもありました。しかし残っている企業で技術系はサッパリありませんでした。あると言えば派遣のみでした。

セミナーのおじさんと会話が上手く弾み、当日派遣は成長期でした。そのときの謳い文句は10年後に独立を支援します、でした。独立思考が少しあったので乗っかってしまいました。何とかいい弾みで内定まで決まり、友人達はそこそこ名がしれてる企業もしくは大学院へと。別れていきました。この時点で最初自分が描いてた就職とは全く異なるイメージでした。親もホント大丈夫かと心配してました。派遣って大丈夫か?当時電子科でも派遣に行ったのはそんなにいなかった気がします。数人です。

その後わけの分からない派遣企業での生活が4年半程続きました。その間派遣会社は法律の変化やある企業の繁栄から衰退までが起こる期間となりました。派遣会社は小枝の様に別れて、社長を交代、会社名変更、合併が繰り返されました。
またその後、経済危機の影響を受け規模もそれなりの物になってしまいました。

派遣では技術的なしたっぱで雑務を行い2社行きましたがどちらも大手自分では入る事が出来無い様な会社でした。派遣社員なり出来る限りやりましたが、当時から残業規制で定時で上がる事が殆どで物事が中々前に進まないジレンマの中で過ごしていました。しかし耐えていると少しづつ動き出す場面が幾つかありました。自分が活躍出来る場面です。そのときのは仕事が楽しい感じもありました。

そしてあるタイミングで会社側が技術の核の部分が派遣社員にあるとみると派遣社員が正社員に成れる時期がありました。自分もそのときがきました。すごく嬉しくて、やってきた成果が報われたと思いました。

しかし世の中にはタイミングがある見たいである段階で話しが進みにくくなって行きました。
会社側と部署での温度差が出て来てました。
その間自分は転職活動にあてました。
会社から誘われる位だから、他の企業でも雇ってくれるのではと思い活動を開始しました。開始して1ヶ月もたたない内に今会社に出会いました。

そこで自分が選んだのは畑違いもいい所の外資系の自動車会社でした。当時から英語を話せる様にならないかなとずっと思ってました。それなら働きながらついでにと軽い判断でした。

英語の出来ない自分が何故か働くことに。

と長くなりましたが、
最初の会社なんて後で何とでもなるといいたいし、今となっても会社は入ってからでないと分からない部分多過ぎます。取り敢えず入って駄目なら次を考えるスタンスで良いのではないかと。終身雇用で考えるのは良くないのかと思います。力つけてらかでいくらでも良い企業に転職できると思う。給料も上がることだと思います。

自分の感覚でいいなと思う、感じた企業に入れたならまず成功、企業の大小に関わらず。。